お腹の周りが、、、ポニョ、、、
♪ポーニョ ポーニョ ポニョ
ふくらんだ まんまるおなかの男の子(泣
“崖っぷちのお腹がポニョ”が『崖の上のポニョ』を観て参りました。
感動ッス
綺麗ッス
柔らかったッス、絵がスゴクキレイで、かと云って触ったら切れてしまいそうな鋭さではなく、“ふわっと”溶け込むような柔らかな綺麗さと鋭さです(さりげなく、、、矛盾してないか?<表現
始まったって、最初に感じたのは、、、線の柔らかさ。
この感じは、、、そう、、、ラベンダーの香り、、、子供の頃にお母さんに嗅がせて貰ったコトがあるの、、、って、お前は“芳川和子”か!? 時をかけてしまえ!!w
この線の柔らかさは『パンダコパンダ』
宮崎監督の絵の原点な感じでしょうか、個人的感想ですけど。
いきなりですけど、感想/総評しちゃうと、オトナが見れる/感じれる/入っていけるファンタジー、、、でしょうか。
スタジオジブリの今までの作品がオトナを拒否していたと云う意味ではなく、
『となりのトトロ』は子供には見えてオトナには見えないファンタジー。
『魔女の宅急便』は12~17歳位の女のへのメルヘン。
『紅の豚』はオトナのロマン。
『千と千尋の神隠し』は女の子が自分で自分を見付けるキッカケ作り。
(以上あくまでも個人的感想ですが)
『崖の上のポニョ』は子供もオトナも一緒になり同じものを見、同じものをモノを感じる、そして感じることが出来る、そんな感じでしょうか。<どんな感じでしょうか?原稿用紙10枚以内に纏めなさい。
『パンダコパンダ』のような絵なのに、とてもパワフル/スピーディ。
それで居て全然絵に破綻が生じない、美しさは当然の様に維持したまま。
美しさが走る/流れる/駆け抜ける。
スゴイなぁ、の一言。
スタジオジブリ作品の注目点の一つに“声”があると思うのですよ。
既製/既存の声優さんではなく、俳優さんに声を充ててもらう。
(『紅の豚』の加藤登紀子さんは歌手ですけど)
ウチの家人は、この件に異論はあって、俳優さんを起用すると本業の声優さんの立場はどうなってしまうんだ。って云うンですね。
ウン。確かにソレは解る。でもね、だからこその俳優さんの起用だと思うんだ。
例えばの話、『ポケットモンスター』を観に行ってもピカチュウの声を聞いて「ああ、コレは『名探偵コナン』の光彦の声なんだなぁ。『ワンピース』のチョッパーとも同じなんだよなぁ」とか、『ブラックジャック』を観ていて「ピノコの声が『ちびまる子ちゃん』のお姉ちゃんの声と一緒とは思えないなぁ。いや、語尾が同じかなぁ」とか、『アンパンマン』を観ていてSLマンの声を聞いて、「富山敬サンはもう、、、居ないンだぁ」なんて本編と関係ないコトを感じないでしょ。
そんなコトを思うのはワタシだけでしょうか? < たぶん、そうでしょうw
俳優さんが声を充てるコトによって、ワタシはナンの先入観もなく作品に没頭するコトができるのです。かなり変ですが。
ちょっと話が外れますが、『千と千尋の神隠し』の時もお父さんとお母さんは登場しましたが、物語の展開上あまり、、、その声が物語りに絡むコトなく、ある意味で残念でした。
今回の『崖の上のポニョ』では主人公が5歳と云うコトからでしょうか、お父さんとお母さんの声が存分に存在価値がありましたね。
特にお母さん(リサ)の声は、5歳の主人公に勇気を与え、後押しをし支え、お父さん(耕一)の声はお母さんの声を裏打ちし、父親の存在感を明確にし、主人公にポニョを守らなきゃという確固たる信念を打ち立てたような気がするのは、、、ワタシの欲目でしょうか、、、
おばあさん3人の声がスゴク効いてる。
この3人は、悪いけど声優さんではなくて、ベテラン女優さんを起用して正解だったと思います。
『千と千尋の神隠し』の湯婆婆/銭婆のように主人公の行動を左右する存在ではないが、物語を引き締める上では重要な声であったと思います。
声とは離れますが、町が水に沈み船で移動中に出会った婦人とのやり取りはヨカッタです。
「違う、赤ちゃんに」
「いいオッパイ出して」
ポニョの真っ直ぐな純真なココロを表したセリフですね。
最後まで見て、、、「あれ?もう終わり?もうそんなに時間経ったの?、、、もう少しその後がみたいな」みたいな感想でした。
シアターを出て家人と最初に交わした最初の会話、、、
「町が水浸しになったシーンってさ、、、」
「うん、『パンダコパンダ/雨ふりサーカス』だよね」
「だよね」
「だよね」
「キレイだねぇ」
「キレイだったねぇ」
でした。



最近のコメント